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広島地方裁判所呉支部 昭和31年(タ)1号 判決

原告 門沢ハツヱ

被告 門沢積

主文

原告と被告とを離婚する。

原、被告間の子和子、同渉恵の親権者を被告と定める。

被告は原告に対し金十万円及びこれに対する本判決確定の翌日から完済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告の請求中扶養及び婚姻費用の分担に関する部分を却下する。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事  実〈省略〉

理由

公文書であつて真正に成立したものと認める甲第六号証と証人幸城喜代人、同幸城ヲノブ、同門沢鹿一、同小松清次、同砂古早人、同幸城正右衛門の各証言、原、被告本人尋問の各結果を綜合すれば、原、被告は昭和二十三年一月二十一日訴外小松清次の媒しやくにより事実上婚姻し、ついで同年二月十八日その届出をした。被告は婚姻前は実兄たる訴外門沢鹿一方に同居していたが、婚姻後は鹿一方の別棟納屋に原告と同棲して婚姻生活を営んだ。当時被告は播磨造船呉船渠に勤務し、その後昭和二十四年四月頃からは進駐軍労務者として働いたのであるがその頃被告は一月約七千円の収入を得て婚姻生活に要する費用の全部を被告が負担することにしていた。原、被告の仲は婚姻当初は比較的円満であつたが、原告は被告の親族と親しく交際することを好まず、この点について被告が原告に対し注意を与えると、原告は被告の意にそうように努めることなく、却つてこれを実家の方へつげ口をし、実家の親は親でまたこの原告の態度をたしなめずにかばうというようなことから婚姻後一年位した頃より時として円満を欠くことがあつた。原告は納屋住いを嫌つて実家の父訴外幸城喜代人の援助の下に夫婦の居住する家屋を新築しようと提案し、被告もこれに賛成して昭和二十五年五月十五日、居宅一棟二十五坪五合を、被告が婚姻前から所持していた金十三万円と婚姻後貯えた金員および右訴外人から約五万円に相当する木材の贈与を受けて、この価額をも含めて金二十五万円で建築した。そして丁度その頃同月八日には長女和子が生れたのである。ところが被告は昭和二十七年六月進駐軍労務者の整理にあつて失業することになり、妻子をかかえる身として一家の生計をたてるため同年八月末意を決して単身朝鮮へ出稼に行き、翌二十八年四月帰るまで、最初の頃は月一万七千円あて、その後月一万八千五百円あて原告に送金を続けたのであるが、原告はこの被告の異郷における辛苦に対して僅かに一度便りをしたほか、何等報いるところがなく、被告は寂寥の想に胸をかまれた。このようにして被告が朝鮮から帰つてみると、原告の貯蓄額が被告の予想に反して意外に少いことから、出稼先で家族の安否を心配していた被告に対したつた一度しか便りをよこさなかつた原告の態度の冷酷さをも想いあわせて留守中における原告の行動に疑惑を懐き、その頃から夫婦の間柄が急速に険悪化するにいたつた。そして被告が原告に対し、朝鮮からの送金の使途について問いただし腑に落ちないままこれを原告がその実家に持ち運んだのではないかと疑うと、原告及びこのことを原告から伝え聞いた実家の両親は憤激して反撥し、この反撥が被告をしてさらに新しい暴言を誘発するという悪循環の様相を呈した。原告は多少自我に強いきらいがあり、この間に処して被告の有する疑惑が単なる誤解に基づくものであるならば、これを納得のゆくように説明しようという労をとるべきであるに拘らず、却つて一途に被告の荒い言動を嫌悪し、実家に告げ口をするという態度に出、実家の両親はまたこれに剌戟されて原告をなだめるどころか被告のこのような態度を憎むという有様で、そのほか前記被告の出稼中原告は自己及び長女和子の衣類を実家に持ち去つたまま被告が帰つてきてもこれを夫婦の生活の本拠である被告方に持つてこないというような穏当を欠く点などもあつて、一方これに対し被告の方は被告の方で原告の言分にも静かに耳を傾けるという努力を払わず従来からの不満の情のままに、原告等のこのような態度に対していよいよ憤激して暴言を吐き、たとえば昭和二十八年の麦の収獲期頃些細なことから原告に対して「くそ馬鹿たれが」と口を荒し雑巾バケツを投げつける等暴力をもふるうという挙に出で、かてて加えて被告の親族またこぞつて原告等を快よく想わないといつた具合に夫婦間のかつとうは夫々その親族を背景とする門沢家対幸城家のあつれきの様相を加え、その緊張度が高まるにつれて、原、被告はいよいよ深刻な対立関係に追込まれるという状態であつた。したがつて昭和二十九年三月頃被告が病気で呉済生会病院に入院するにあたり、自らの布団が汚れているので、原告の布団を借りて持つてゆこうとしたときは、原告が頑強にこれを拒むかと思えば、一方また同年六、七月頃原、被告一家が食事をしていた時被告の兄の子が来たのを見て、被告がこれに食事を与えるよう原告に言つた際原告が与える程の量のないことを告げるや被告は日頃から原告が被告の親族に冷淡な態度を示すのを腹に据えかねていたところから急に憤激して、原告を台所の間から土間に突き落す等の乱暴をするという有様であつた。そして昭和二十九年十一月中旬頃、原告が病気で寝ていたところ被告は時あたかも農繁期にあたつて、日頃農業をあまり好まぬ原告が不貞寝をしているものと誤解し、「いつも寝ているが、つまみ出してやろうか。寝るのなら実家に行つて寝ろ」と口ぎたなく罵つたため、原告は立腹して実家に行つたきり被告方に帰つてこなくなつた。またその頃広島市に嫁している被告の姉が農繁期に幼い長女を抱えている被告を憐んで一時長女を預かろうというので、前記のように原告が実家に持ち帰つていた長女の新らしい着物と着かえさせるため、長女を原告の実家に赴かせたところ、被告に対するあてつけのためかえつて従前よりさらに悪い着物を着せかえて帰らせたこともあつた。しかし原告が実家に行つたままいつまでも帰つてこないので、被告は昭和三十年四月中頃、媒しやく人の訴外小松清次、叔父同門沢七之助等を介して原告の帰宅を求め、原告もまたこれを容れて被告方にその頃帰り、同年六月十一日には二女渉恵を分娩した。この原告帰来後しばらくの間は折合よく行つていたが、産後日ならずして被告は原告がすつかり恢復していないのに炊事をするよう命じたり、原告の枕頭でラヂオをかけたりするので原告はこのような被告の態度を自分に対する思いやりのない仕打と解してあきたりなく思い、被告もまた原告に対して幾分言動において慎しみの足りないところがあつたと言わねばならず、この点わざわざ第三者を介してまでもとの鞘におさまつた夫婦としては双方ともに理解しあおうとする努力に欠けるところがあつた。そして同年七月四日、被告は原告と共に原告の実家の田植の手伝に行つたが、その日手伝を終えて被告が原告に対し一緒に家に帰ろうと言つたところ原告がこれに従わず、原告はそのまま家に帰らなかつた。ところが被告は当時現金が入用のため他に貸与していた金銭債権を取り立てる必要があつて、それよりさき原告が秘かに被告所有の右債権に関する証書三通を実家に持ち帰つているのを知り、その返還方を原告に催促しに行つた時、原告とその母が、前述のように被告の朝鮮からの送金について原告等の名誉を傷つけるような言動が被告にあつた点を盾にとつて、これに応ぜず、そこで憤慨した被告が、さきに進駐軍を整理された時の退職金七万円を原告の母を通じてその親族に貸与していまだ弁済を受けていないとの理由でその返還交渉の促進を求めたところ、原告の母は被告が居宅一棟を建築するにあたつて原告の父が被告に贈与した筈の木材の代金と相殺すれば返還すべき残額はないと暴言をもつてこれに答えるというようなやりとりがあり、ついでその数日後には原告等は生後一月にもみたぬ乳幼児二女渉恵を被告に対する面あてのため無情にも被告方に連れてきて置き去るに及んで原、被告の仲は決定的に破局に突入したことを認定することができ、各証拠の中この認定に反する部分はいずれも措信できない。

はたして然らば原、被告間の婚姻関係はもはや両者の協力によつて将来円満に成りたつてゆく余地がないまでに破壊されていると言わざるをえず、以上の事実は民法第七百七十条第一項第五号の規定が婚姻の人間関係である点に着目して裁判離婚につき破綻主義を採り入れている趣旨に照せば、その所謂「婚姻を継続し難い重大な事由があるとき」に該当するものと言わねばならない。そしてこのような事態に立ちいたつた責任は、以上認定の事実を通じて明らかなように勿論被告にのみ存するのではなく、婚姻生活における原、被告双方の言動が互に因となり果となつて次第に発展して行つたものであつて、強いて言えば両者が共にこの結果について責任を負うべきものである。原告のみが破局の結果について責任を負うべき場合には信義則上原告自らが裁判上の離婚を求めることの出来ないことは言うまでもないが、本件の場合のように原、被告ともに責任を相わかつ場合にはいずれの側からも裁判上の離婚を求めることができるものと解すべく、前記破綻主義の重要な意義の一端はこの点に存するものと言えるから、原告の離婚請求はその理由がある。而して原、被告間の子和子、同渉恵の親権者については、原告の子に対する前記認定の事実に徴し、これを被告と定めるのを相当とする。

つぎに離婚にともなう財産分与の点について考えるに、いずれも公文書であつて真正に成立したものと認める甲第一号証、第七号証、弁論の全趣旨に徴しいずれも真正に成立したものと推認しうる甲第二乃至第四号証に、証人幸城喜代人、同砂古キヨミ、同中田繁正の各証言、原、被告本人尋問の各結果及び弁論の全趣旨に徴し原告が高等小学校を卒業し初婚であること、婚姻にあたつて持参金はなかつたが被告所有の居宅の建築にあたつて原告の父喜代人から被告に対し約五万円程度の価額の木材の贈与がなされたこと、婚姻前被告は金十三万円位の現金しか所有していなかつたのに、現在では時価約二十五万円以上にも及ぶ前記居宅一棟のほか同じく金三万六千円程度の畑一畝歩、金五万円の貸金債権を有していることを認定することができ、この認定に反する証拠はいずれも措信できない。そしてかかる事実に被告が親権者として将来二子の養育をしてゆかなければならない点及び前記離婚原因に関する認定事実等一切の事情を併せ考慮すれば、被告は原告に対し財産分与として金十万円を支払うのが相当であると言うべきである。原告は被告に対し、財産分与金につき、本件訴状送達の日の翌日から完済までの民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を併せ求めるが、財産分与請求権は、その認容の裁判確定とともに発生するものであることは民法第七百七十一条、第七百六十八条第三項に徴し明らかであるから、本判決確定の日の翌日から完済まで右割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であるが、その余の部分は理由がない。

原告の医療費に関する婚姻費用の分担及び扶養の各請求は民法第七百六十条、家事審判法第九条第一項乙類第三号、民法第七百五十二条、家事審判法第九条第一項乙類第一号、裁判所法第三十一条の三第一項第一号によつていずれも家庭裁判所の管轄に属する審判事項とされ、地方裁判所にはこれを審判する権限がないから不適法と言わねばならない。

また原告主張の慰藉料の点については本件離婚にたちいたつた前記認定の事実に照し、その責任はひとり被告のみが負うべきではなく、原告の側にもこれと同程度の責任が認められる以上これを斟酌し、その慰藉の義務を被告に負わすことは相当でない。

以上説明の通り原告の本訴請求中、被告との裁判上の離婚、被告に対し財産分与として金十万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から完済まで年五分の割合による遅延損害金を求める部分は理由があるからこれを認容し、離婚にともなう原、被告間の子和子、同渉恵の親権者を被告と定め、扶養及び婚姻費用の分担に関する部分を却下し、その余は失当であるから、これを棄却すべきものである。訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条、第九十二条を適用し、仮執行の宣言は、財産分与の支払義務が本判決確定とともに発生するものであること前述の通りであるから、その確定前に執行を許すべきものではないからその申立を却下することとし、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 石見勝四 裁判官 裾分一立 裁判官 土井俊文)

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